カスパロフ

1985年の再戦は熾烈を極めた。特筆すべき点なのは多くの勝利はカスパロフが自身の圧倒的な力で粉砕するスタイルではなくボード上のすべての駒を支配するカルポフのスタイルで勝ってたこと。カスパロフ16戦目はポーンを捨てナイトですべての駒を支配した(後にGarry Gambitと呼ばれるがすぐに反駁手が見つかってしまう)19戦目ではボトヴィニクの「カパブランカのように刺せ」というアドバイスを受けてどちらかと言えば静かな勝負に出た。24戦目、最終試合ではカスパロフは一点リードしていてカルポフは絶対に勝たないといけなかった(勝てば引き分け防衛)カスパロフが得意なシシリアンの勝負にカルポフは出た。カルポフは中盤、有利な攻撃のポジションになったがタルのように激しく刺せないで静かに、徐々にプレッシャーを与えようとしてカスパロフに逆転される。ドローにできる局面をカルポフは拒否しその末カスパロフに敗亡。しかし、それによってカルポフの第二の生が始まる。カルポフはこれまでe4しかささなかったがd4を指すようになる(一般的にe4は激しい勝負になってd4は穏やかな勝負になると言われてる)カルポフはザイツェフやゲラーなどの有名理論家にオープニングを作ってもらってそのあとミドルゲームとエンドゲームに勝とうとするやり方をする。ザイツェフの力は強力でカスパロフを苦しめることになる。カスパロフの力は主にオープニングから来て、相手に合わせた多数のオープニングを常に研究している。一方カルポフはどちらかといえばそういうものではなくどのオープニングでも自分なりにさそうとするという点から相性はあまりよくなかった(カスパロフに相性がいい人間なんて後のクラムニクくらいしかいないが...)どんどんカルポフのさせるてが少なくなっていき(例えばe4を初手に刺さなくなったのはそうで、次にカルポフは黒でe4に対してe5とささなくなった(カスパロフのスコッチが強すぎるので))1985から1990までは一番二番は変わらず3番にユスポフがきたりティマンがきたりLjubojevicがきたりすることになる。カルポフとカスパロフの対決はいずれもほぼ一点差でおわることになる。トーナメントではほぼカスパロフとカルポフはドローでカスパロフが一位、カルポフが二位となる。だが1991年は例外だった。ウクライナの新生、イヴァンチュクが二人が参加する大きいトーナメントで両方を倒して一位になってしまう。カスパロフがまるで子供のように、イヴァンチュクに粉砕される姿は誰もが新しいチャンピオンの到来を予期した。同時期にインターゾナルではイヴァンチュクと同世代のベラルーシ出身ゲルファンドが一位で通過。ゲルファンドは卓越した戦略家でカスパロフと同じナイドロフシシリアンとキングスインディアンのエキスパート。あまり脚光をあびることはないが2012年には世界チャンピオンへの挑戦者となる。1993年にはカルポフは世界チャンピオンの挑戦者になることはないが、その挑戦者とカスパロフがFIDEから離脱することによってチャンピオンに戻ることになった。離脱した二人、カスパロフとショート