チェス世界チャンピオンの紹介

僕の知ってる限りに世界チャンピオンを紹介すると、多分現代的な歴史で一番重要なのが1700年代くらいフィロドールっていうフランスのチャンピオンでこの人がエンドゲームに関する基本的かつ重要な理論的なポジションを三つくらい研究してた(ちょっと前アメリカレートNO1のFabiano Caruanaがルーク&ビショップvsルークのフィロドールポジションで勝てなくて話題になってた。この人実は音楽家、目隠しで三面戦って全部勝つくらい強かったらしい。この人の教科書は何世紀も読まれてたらしい。

そっからロマンティック時代に突入して、その頃のチェスはe4だけでe4 e5 f4のキングスギャンビットが流行って(100年後にはspassky以外刺さなくなっていく、でもspasskyがsecret weaponとしてフィッシャーに勝ったり(フィッシャーが数年後かけて反駁したのは有名な話)Bronsteinに勝ったり(あまりにも綺麗すぎて映画にも出てきた)あとはShirovが訳のわからないサクリファイスGMを倒してたら必ずしも強いわけではないけど一部相手を驚かせるために使われてる)まあd4とかさすやつは未開人扱いされてた。ロマンティック時代の特徴は中盤で攻めが駒を全部捨ててキングを積まそうとして、もし運が良く積まなかったら防御側の勝ちみたいなそんな感じだった。そのロマンティック時代で一番強かったのがアメリカの弁護士のモーフィ(1850年くらい)で、モーフィの特徴としては全ての駒が攻撃に参加してるという点、そこが他のプレイヤーと違った。おそらく初めてチェスにダイナミックな意味でのポジションプレーの概念を持ち出した人、この人のオペラ座のゲームはチェスの歴史上一番有名。この人ヨーロッパのマスターをコテンパンにしてチャンピオンになったんだけどチェスに飽きてアメリカで女性の靴に囲まれながら風呂場で死亡、チェスやってる人の頭のおかしさで引き合いに出される代表例。モーフィが死んでからヨーロッパの強豪が争ったんだけどその中で一番強かったのがドイツのシュタイニッツ。シュタイニッツ(1870~80くらい)はモーフィのライバルでスタイルもにて華麗な攻撃を仕掛けるんだけど中年以降はチェスの本質は攻撃だけではないことに気がついて(静的な意味での)ポジションプレーの概念を生み出す、例えばどういうビショップの強さの判定とか全体的なポジションを見通して抽象的かつ一般的な判断を下すみたいなね。あとはシュタイニッツルールって名前のポジションを判断するテストを作った。あまりにも一般的すぎて今では参考程度にって感じ。

シュタイニッツはやっぱ数学者で一般性にとらわれすぎてしまってやっぱり病んでしまった、晩年は神と先手でドローしたとか主張したり自分のポジショナルプレーの概念が理解されなかったりして徐々に病んでいった。この人が初代公式チャンピオンになった。

シュタイニッツはヒルベルトの弟子でネーターの同僚のラスカー(1900年くらい)に倒される。ラスカーはアインシュタインにこいつがチェスで遊んでたから物理学の発展が10年遅れたと言われるくらいの天才で歴代チャンピオンの中でも眼を見張るほどの防御力を持つ、心理戦を得意としててちょっと不利な状況でも粘り強いディフェンスで有利に持ち込む、そしてSilman(アメリカの有名なチェスの教育者、IM)が歴代最高の5人のエンドゲームプレイヤーの一人に選んでる。この人が歴代で一番長い年数チャンピオンの座にいた(これには色々理由がある)。ラスカーは世界初の五人のグランドマスター(チェス最高の称号)の一人、タラッシュと世界チャンピオンの座をかけて勝負したりした。タラッシュは本業医者でシュタイニッツの理論の欠点を修正d4の理論わ作り出す。それまでe4以外未開人扱いだったけどそれからはd4以外チェスエアプ扱い。なんやかんやでラスカーが勝利

でもラスカーが勝負しなかった(できなかった)相手にアキバ・ルビンシュタインがいる。個人的な意見だけどこの人はラスカーより強い、この人の特徴は卓越した戦術家であること、立てたプランを一縷の糸のように一貫して遂行していく、そして何よりもエンドゲーム、Silmanが選ぶ最高のエンドゲームプレイヤーの一人に選ばれたり、ルークエンドゲームではコルチノイと並ぶ強豪とされている。大域的な戦術では今のプレイヤーにも常にアイデアを与え続けていて(例えばフォロワーに2008年から2013年までの世界チャンピオンのアナンドが2012年にアロニアンにTata steelで披露した(多くのマスターがこんなに素晴らしいチェスは見たことないと言った)ゲームもアイデアはルビンシュタインのものと言ってるし2012年の世界チャンピオン挑戦者のゲルファンドはルビンシュタインの大ファン))みたいなすごい人なんだけどあまりにも素晴らしいチェスをプレイするのに拘って病気になってチェスは続けられず、ラスカー戦もスポンサーが来ずに最後まで王者と戦えなかったとさ

ラスカーと勝負するものにキューバの外交官カパブランカが現れる。カパブランカ(1920から1930頭まで)は歴代最高の生来の才能を持つと言われててチェス勉強しない自慢と傲慢さを持ち合わせたプレイヤー、でも強さは本物で世界で初めてGMになった五人のうちの一人であり同じく最初の一人であるマーシャルを完膚なきまでに打ちのめすという伝説を持つ、ラスカーにチャンピオン戦で無敗、八年間無敗、という負けることを知らないチャンピオン。もっとすごいのがマーシャルがコテンパンにされたその悔しさで八年間、対カパブランカ用に取っておいた危険なマーシャルアタックっていう攻撃を(今では完全に理論化されててポーンを黒が捨てて黒が引き分けにするって言われたる。例えばアロニアンとかがたまに使う)生み出してカパブランカを攻撃をするんだけど見事にギリギリでかわして逆にカパブランカが勝つという離れ業を披露。特徴は過度な単純化、究極のエンドゲーム力の持ち主でピースが殆どなければカパブランカに今のトップでもほとんど勝てないだろうって思われるほど卓越したエンドゲーム力を持つ当然Silmanが選ぶ五人に入ってる。ポジションプレーもすごくてアメリカのIMCyrus曰くカパブランカは当時のマスターと比べて遥かに深いポジションの理解をしていた、それこそ差はレート1500とカルポフ、カスパロフ、クラムニクの差のようにと、フィッシャーはカパブランカはオープニングだけなら今の小学生でも優位を取れる程度には適当にしかやらないけどミドルゲームだとかなりキツイと。コンピューターはフィッシャーまでの世界チャンピオンと比べて誰が一番正確か?と聞いたところタルを除くとカパブランカが一番正確だと返ってくる。

まあでもカパブランカの一番の弱点は勉強しなかったこと、世界初の五人のGMのうちの一人アリョーヒン(ロシア→フランス)と勝負することになる。このマッチは一番好きな世界チャンピオン戦はなんですか?とかチェスファンに聞くと大体カパブランカvsアリョーヒン、ボトヴィニクvsタル、カルポフvsカスパロフと返ってくる程度には重要(なんたって古典チェスの頂点だからね)アリョーヒンの特徴は異常な勉強量、一日14時間死ぬまでやってたという、タクティクス、戦術、エンドゲーム、どれを取っても今でも通用しそうな素晴らしいものを持ってるけど一番はそのダイナミクス、圧倒的重攻撃で相手を倒す、アリョーヒンの銃とも呼ばれる形を愛用する。アリョーヒンが勉強してる間カパブランカはバーで夜更かししたりしてた、覆せない最強の自信があったから、でも決戦したらアリョーヒンの勝利。でもアリョーヒンは最強のカパブランカを恐れた、だからアリョーヒンはカパブランカとは世界チャンピオン戦に出入り禁止させた。そしてアリョーヒンはチャンピオンの座を独り占めするために自分に勝てそうな選手としか絶対に世界チャンピオンとしては刺さなかった。でも事件が起きる、オランダの数学者エイベと適当に戦って世界チャンピオン戦敗退、世界チャンピオンの座を一年譲ることになる。エイベは数学者だけどできない仕事はないという多芸ぶり(調べたらわかるけどボクシングと水泳やりながら数学者やったらキャパシティが違いすぎる)レオナルドダヴィンチ系の天才。チェスの本をたくさん残して1972年の世界チャンピオン戦の時の会長をやったりする、チェスをゲーム理論の視点から調べようとしたりしたらしい。

アリョーヒンは悔しさをバネに禁酒一年、リターンマッチで見事エイベを粉砕する。カパブランカはアリョーヒンに負けてもその強さは健在で1938年までにたくさんのトーナメントで優勝した(例えばモスクワ1936年はカパブランカがラスカーやボトヴィニク(二位)を押しのけ優勝)ノッティンガムでは一位ボトヴィニク、2位カパブランカ(3位エイベ、続いてファイン、レシェフスキー、アリョーヒンなど)でも1938年には歴史に残る大イベント最強の八人が集うAVROでは7位に(ケレス、ファインが優勝、次にボトヴィニク、エイベ、レシェフスキー、アリョーヒン、カパブランカ、フローア)理由は脳出血の後遺症だとかなんとか言われてる、カパブランカは間も無く死んでアリョーヒンは卓越した才能がなくなったとその死を悼んだ。

話は10年戻り1925年、チェスでタラッシュを越えるために新しいハイパーモダン運動が起こっていた、タラッシュはd4が最強だと言ってたけどg3で強力なセンターをわざと捨てて黒がそれを攻撃するチェスの素晴らしさをニムゾヴィッチ(当時のアリョーヒン、カパブランカに次ぐ三位)とレティ(カパブランカの八年間の無敗記録を破った)が伝道して、ニムゾヴィッチ(ロシアの哲学者)が抽象的なマイシステムという本を作った、この本は今でもチェスプレイヤーのバイブルとして愛用されている。これでオープニングに革命が起こった。

アリョーヒンは世界大戦後に死亡、唯一世界チャンピオンのタイトルを持ったまま死んだプレイヤーとなった、チャンピオンに権力が乱用されないようFIDEという団体ができるようになる、新しいチャンピオンはAVROの参加者で決められフローアは第二次世界大戦の中で現れた若手の強豪スミスロフが取って代わった、対戦ルールはAVROと同じ、結果はボトヴィニク一位(ソ連)、スミスロフ二位(ソ連)、ケレス三位(ソ連)、レシェフスキー4位(アメリカ)、エイベ5位(オランダ)という結果に、ボトヴィニクが新チャンピオンにここから12年間ボトヴィニクの時代が始まる